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(゚д゚)戦後の中〜大型民間旅客機に萌えるスレ(゚д゚)
1 名前: 名無しさん 投稿日: 02/06/22 00:15
コメットとか727とか767とかYS−11とか語ろうよ
俺がよく知らないから小型機禁止


2 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/06/22 00:17
自治厨ふぁいやー


3 名前: 自治厨 投稿日: 02/06/22 00:20
板違い

航空・船舶板
http://science.2ch.net/space/


4 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/06/22 00:26
とうとう自治厨来ましたねぇ


5 名前: 格納庫の石 投稿日: 02/06/23 15:49
○民間機と軍用機の親子関係を話題にしても
  いいのではないかしら?

で,ねたがないので,
ソ連のジェット旅客機ツポレフTu-104(1955年6月17日初飛行)は,
ボーイング707より早いんだけど,
爆撃機Tu-16の部品を流用している.
つまりオリジナルとして設計されたのは,胴体の主要部分だけといわれる.
こんな実用的な旅客機の事故率はどのくらい?

コメットを引退させた
ボーイング707の原型機は,
軍用輸送機のC97をターボジェット化したモデル367-80である.
この367-80の初飛行は1954年7月15日となっている.
なお軍用輸送機・空中給油機のC/KC-135を民間旅客機に仕立て直したのが
707となっている.
このあと,ダグラスDC8が開発されるのだが,
  この時代の話題でもいいように思うのだが....

そういえば,YS11の引退が近くなってきたが,軍用機(いけない自衛隊機だった)は,
いつまでつかえるの.

海上自衛隊のP3Cの母体のたったのは,ロッキード社の旅客機だったような.
C130の民間機タイプのL100って,実際に納入されたの?

   とか,,,.......・・・・・

ボーイング747は,米空軍の大型軍用輸送機計画「CX-HLS」の設計案でロッキード社,ダグラス社,ボーイング社の3社が競合したが,ロッキード社が生産することになった.これが巨大輸送機「C-5Aギャラクシー」である.
受注競争に敗れたボーイング社は,超大型の民間輸送機の開発をパンアメリカン航空に「B747」を提案し,開発を1965年11月にスタートさせた.


6 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/06/23 15:52
質問なんですが、現代の輸送機は高翼がメインと思うんですがなぜですか?


7 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/06/23 15:54
流行ってるからじゃないの?


8 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/06/23 15:56
翼下にパイロンを付けて追加カーゴユニットを吊るせる様にです。


9 名前: 投稿日: 02/06/23 17:21
>>8
どんなユニットなんですか?


10 名前: 眠い人 ◆ikaJHtf2 投稿日: 02/06/24 12:58
多分すぐにDAT落ちするスレだろうと思いつつ…。

>5
Boeingは昔からそんな感じだね。
モノメール郵便機もそうだったような。

B-17からB.207ストラトライナー、B-29からB.377ストラトクルーザーと。
まぁ、B.377は後にB-50と主尾翼を共用化したけど。
B.367-80はストラトクルーザーのジェット版から発展して、B-47の技術を
組み合わせたものだそうな。

リパブリックが、旅客機として開発した旅客機も結局売れずに米軍のR-12
偵察機になったし。

哨戒機系列は居住性の関係とコストの関係で専用機は少ないですな。
P-3CはL-188エレクトラ旅客機、ニムロッドはコメット旅客機から改造された
もの、Il-38もIl-18だし、中国の奴もAn-12のコピーか。
最近ではAn-74をそのまま哨戒機にしたものがあるな。

L-100は結構各国軍に装備されている。
こういった所は民間航空輸送もやってるみたいだけど。


11 名前: 格納庫の石 投稿日: 02/06/25 14:08
このスレは,100までもちそうもない....ネ

でも,もし500までもったらと....Ageておくyo!!

で, >5 の補足を

◆B29を「平和利用」して旅客機にするとモデル377
ボーイング社のストラトクルーザーは,ダグラス社のDC6,ロッキード社の
「コンステレーション」と競合したが,1950年代の民間機市場ではまだ認められなかった.
パンアメリカンが日本路線に投入したから
乗ったことのある海外渡航経験者はいるのでは....

アポロ計画の「サターン」ロケット・ブースターやエアバスの大型部品を運ぶ「グッピー」は
モデル377がベースとなっている.民間機としては56機生産された.
米国空軍が空中給油機「C97」ストラト・フレイターとして制式に採用し,
トータルで888機生産することができた.
まあ,ボーイング社は軍用機メーカーなのです.
ロッキード社と同じ体質の航空機メーカーといっていいのではないかと.

★週1回のアクセスでは,つぎにきても,
このスレはないのかも.........

そういえば,来週は夏真っ盛りかも.


12 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/06/25 14:37
>>11
マリリン・モンローが来日したときに乗ってましたな>B377
>>6
理由は貨物搭載に便利だから
C-130を見れば、一目瞭然だが

でも民間用貨物機は低翼が圧倒的に多いぞ


13 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/06/25 14:56
>>6 >>12
あー単語が出てこないのだが、軍用輸送機が肩翼・高翼なわけは、主翼の桁が
機体上部を通って床面を低くできるからという理由じゃないかと。
(12さんはそう言いたかったのかもしれないが)



14 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/06/25 15:04
>>13
まぁそれもあるが、高翼にして着陸装置を胴体に取り付ければ、脚を短く出来るので
ランプが低くなるので車や戦車なんかを自走で搭載するこも可能になる
フェアチャイルドC-123が先駆で、その後急速に広まったね


15 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/06/25 15:05
あー、それ以前にギガントがあったか…


16 名前: 13 投稿日: 02/06/25 15:08
>>14
そうか、翼面・エンジンと地表とのクリアランスのことを忘れてた。


17 名前: 眠い人 ◆ikaJHtf2 投稿日: 02/06/26 00:30
そう言えば、60年代初頭に東ドイツ唯一の国産ジェット旅客機というのが登場
したっけ。
確かナチスドイツ時代のジェット機が基になってたやつで、Il-28の後継爆撃機
として開発されたけど、ソ連に反対されてあぼーんされ、民間旅客機として登場
したもの。

これも結局、試作のみで終わったけど、車輪配置が自転車式だったのがなかなか
笑えた。

Soviet X-Planesにも載ってたかも知れないけど。


18 名前: 格納庫の石 投稿日: 02/07/03 15:47 ID:957TVSsD
ようやく軍事板がもとに戻ったようです.
関係者の復元作業ご苦労さまでした.

1週間に一度のアクセスだと,サーバが落ちたなんて,知らなかった.
かもしれないけど......

★WWII時代のドイツ空軍の爆撃機には,
民間機を軍用機に改造したものがあるとか?

■戦後のジェット旅客機導入史
◆民間機のジェット化は1960年代
ジェット旅客機の試作1号機は,1949年7月27日に初飛行した
英国のデハビランドDH106「コメット」(彗星)だった.
この飛行機は,現在からみると,乗客36人というから中途半端な
サイズの旅客機といえる.
1952年5月にBOAC(英国海外航空)がロンドン――ヨハネスブルク
(南アフリカ連邦)間の定期路線に就航させた.
このあとは,有名な機体の与圧による金属の疲労破壊事故によって,
コメットが墜落原因を解明するために運行を中止して大規模な実験を行なった.
そして,再設計された「コメット」4型が1958年4月に初飛行して,
ジェット旅客機の時代が本格的にはじまる.
BQACのコメット4がロンドン―ニューヨーク路線に就航したのは,
1958年10月.このころ往復料金は31万円.

★米国メーカーの登場
パンアメリカン航空がボーイング707を同じルートに投入したのは,1958年10月末.
欧州人はコメット,米国人は707という選択.
ついでダグラスDC8-30が大西洋路線に就航する.
機体の大きさと設計の新しさで,圧倒的に米国製ジェット旅客機の優勢.
こうして,旧式化したコメット4が敗退してしまう.

ヨーロッパの没落:その反動がコンコルド「英仏の栄光」

いっぽう,わが太平洋路線では,.....
羽田空港が日本に返還されたのが1958年になってから.
当時の日本航空はまだダグラスDC6(レシプロ4発機)を国際線に運航していた.
太平洋線には,パンナムがB707を1959年にようやく就航させても,
日航はDC7で我慢の時代で,利用者は持ち出す外貨に制限のある日本人が大部分.
でもエンジンはライト社のターボコンパウンド・エンジンを4機
(3350馬力:高空用に排気ガスタービンを使用し,その動力をプロペラ駆動に付加する方式)


19 名前: 87式少年兵 ◆B9iK8veE 投稿日: 02/07/03 21:00 ID:???
戦争のおかげで航空技術も進歩してる。
C-135≒ボーイング707 と言う構図も成り立つ。
WW2がなければ航空業界ももっと遅れてただろうに。


20 名前: 眠い人 ◆ikaJHtf2 投稿日: 02/07/04 00:39 ID:???
>18
復活おめ。

Fw-200は日本の要請で爆撃機化したが、日本に引き渡されることなく、
ドイツで哨戒爆撃機として使用されています。
胴体が華奢で良く折れたとか。
Do-17、He-111、Ju-88、Ju-86、He-70も民間機からの改造ですが、これ
らは、軍用機開発の隠れ蓑ですからね。
日本も深山はDC-4E(DC-4の前の型)の翼構造を踏襲しましたし。

大型機の開発には爆撃機→輸送機というのが結構あります。
特に貨物機の分野では…。
英国なんかは典型的ですね。
ランカスター、リンカーン→ランカストリアンとヨークと言う風に廃物利用が
結構あります。

戦後の日本の航空界では、日航と日ペリが競争していまして、日ペリが、
北海道路線にDC-3を就航させていたとき、DC-4とかDC-6を投入して、
「皆様、下方に見えていますのが、日ペリのDC-3でございます」
なんて言うのをやっていたらしいです。
その後、日ペリ改め全日空がF.27を就航させたときに、
「皆様、下方に見えますのが、日航のDC-4でございます」
なんてやったとか。


21 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/07/05 12:09 ID:???
>21
タウロン萌え
つっても眠い人ぐらいしかわからんだろうけど
これ、乗りそこなったのよねぇ…
DC-3とか-4はアメリカで乗れたんだけど


22 名前: 眠い人 ◆ikaJHtf2 投稿日: 02/07/06 01:08 ID:???
>21
うわ、タウロンですか。
うちの叔父がダヴの操縦士からキャリアパス開始したんで、あれ系の
機体も結構萌えですぅ。

…て、年がばれるな(苦笑。


23 名前: 名無し2等兵 投稿日: 02/07/06 17:00 ID:Ufy6zgZO
○「タウロン」というのは,英国製
デ・ハビランドDH114へロンを改造した輸送機のこと?
○かつて新明和工業が,エンジンを倒立直列型6気筒
(DHジプシー・クィーン30Mk2)を
水平対抗6気筒(コンチネンタルIO470D)に換装したもの.
○4発レシプロ機を東亜航空(現在の日本エアシステムか?)が
(1971年ころ沖縄-鹿児島路線)に投入したというやつ.

○双発のDH104ダブも,日本で使われたけど知っている?

プロペラ機でも,ターボプロップのビッカース・バイカウント
旅客機のほうが,なじみがあるのだけれど.
YS11より,すこし大きなサイズだったような

このあと,あのB727が登場することになるので.

プロペラ機限定スレだったかしら!!



24 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/07/07 12:07 ID:???
>>23
正解だよん
B-727には思い出が詰まっている(涙


25 名前: 眠い人 ◆ikaJHtf2 投稿日: 02/07/07 15:28 ID:???
>24
うちの叔父は日ペリ入って、DH104ダヴ→DH114ヘロン→ヴァイカウント
→F.27フレンドシップ→B.727と進んで、管理職になりました。
B.727は小松で操縦席を見せて貰ったことがあります。


26 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/07/08 12:32 ID:???
おお、バイカウントにも乗っていたのか
うらやましい…
フレンドシップは揺れた記憶しかないなぁ
子供だったから、余計そう感じたのかも知れないけど


27 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/07/12 00:06 ID:+aGpBGyU
Tu-114

先端が窓っぽいところとか、ソ連の飛行機っぽくて(・∀・)イイ!





28 名前: 格納庫の石 投稿日: 02/07/15 16:49 ID:???
●ビッカース・バイカウントは中短距離路線に使用されたターボプロップの英国製旅客機だった.
プロトタイプが初飛行したのは,1948年7月.
タービンエンジン独特のかん高いエンジン動作音が与圧されたキャビンでも耳についた.
楕円形をした客室の窓から外を見ると,エンジンナセルが小振りで美しい.
星型のレシプロ・エンジンであれば巨大なナセルが視界を遮切るのだが,眺めの邪魔にはならない.
ナセルは細目で,主翼前縁から前に思い切り突き出し,優雅にくびれている.
長く伸びたナセルにはロールス・ロイスのRRマークがついている.
ロールス・ロイスのダートエンジンはまだ双発にするには出力が十分でなかったので4発だった.
YS-11に装備されるころには,出力が倍増して双発でも十分になったが....
日本では1960年7月から1969年まで路線に就航した.


29 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/07/17 01:31 ID:2NdYkOUD
国内線だとどうしても,全日本空輸が中心になってしまう.
JALはあまりに,お役所風で,常連さんが大事というような
雰囲気があって,近づきがたかった.

●フォッカーF27フレンドシップは,
日本では1961年6月より,全日空が導入して,およそ12年間使用された.
全盛時には30機近くになったような気がする.

1955年11月に初飛行したオランダ製ターボプロップ旅客機である.
フォッカー・フレンドシップがターボプロップ機として印象的だったのは,
翼が胴体の上にくる高翼に配置されていたから,
飛行中は主翼が目に入らず下界の眺めがすばらしいのである.
もちろん客室の窓も楕円で窓ガラスを外に膨らませてあった.
ターミナルから見ると高翼の主翼上面はわずかに上半角をもって左右にピンと張り,これに
胴体上部にある背びれの美しさが加わる.
さらに,アスペクト比が大きくて直線テーパ(先細)の主翼と,
なだらかな円形断面の胴体を組み合わせて,それに調和した水平尾翼,
後部には目立って大きな垂直尾翼と大型の背びれで構成された個性的なスタイルであった.
背びれ上縁は,胴体下面と平行で快い間隔となっていた.
背びれは大きな横滑り角で,背びれを越える気流が剥離して強い渦を発生し,
この渦が垂直尾翼の風下側の気流剥離を抑えている.

●●このあと,B727,YS11が着て,
またそろそろ新しい機材が導入される時期になっているのでは?
欧米ではやっているリージョナルJET
カナダのボンバルデア社(MHIと提携),ブラジルのエムブラエル社(KHIと提携)の
地域間を結ぶ60人クラスのJET旅客機が,かなり注目されている.







30 名前: 眠い人 ◆ikaJHtf2 投稿日: 02/07/17 22:19 ID:???
>29
いまは亡き会社となりましたが…合掌@フォッカー社。

中日本航空が近代化型のF.50を使ってますね。

マイナーな機体と言えば、極東航空が使っていたH.P.Marathonとか、
日本国内航空のNord N.262Aとかがありましたね。

この前、フェアリンクのコードシェア便でRJ-100に乗りました。
天井が低かったけど、総革張りシートに萌えますた。

今はDHC-8の全盛期なんでしょうなぁ。


31 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/07/19 12:14 ID:???
グラマン・グースもたしか瀬戸内海方面で使われていたな
写真しか見たことないけど


32 名前: 眠い人 ◆ikaJHtf2 投稿日: 02/07/19 23:35 ID:???
>31
G-21グースは、中日本航空が名古屋〜志摩・串本路線に使ってたそうな。
G-44スーパー・ウィジョンが、日東航空で伊丹〜南紀路線に使われていて、
瀬戸内海で使われたのはG-73マラードで、日東航空が、大阪を起点に、白浜、
徳島、新居浜航路に就航していたらしい。
グースは「はくちょう」、マラードは第1くろしお〜第4くろしおという名前が付いて
いた。

>17で書いた東ドイツの国産ジェット機、つらつら別の資料を見ていたら偶然発見。
VEB152というもので、元々はJunkersの計画機から発展したもの。
エンジンもJumo012から発展したピルナ014(推力3,150キロ)×4。
1958年完成の72席の飛行機だそうだ。
http://www.geocities.com/raravia/veb152.htm

1961年にComeconの政策で東ドイツに於ける航空機生産が中止された
ために破棄されたが、1990年まで機首部は残っていたらしい。


33 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/07/20 12:57 ID:???
スーパー・ウィジョンって見たことないような
まぁグラマンの飛行艇はどれも同じ形なんだけど



34 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/07/20 13:31 ID:???
スプルース・グースは仲間に入れて貰えませんか


35 名前: 眠い人 ◆ikaJHtf2 投稿日: 02/07/20 14:22 ID:???
>33
まぁ、英国名称ですから…。
米軍なら、OA-14/J4F-1ですな。
5人乗りの水陸両用飛行艇で、マッキンノン社が列型エンジンを水平対向の
ライカミングエンジンに換装して売り出した代物です。


36 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/07/21 12:24 ID:???
あ、ダッグの改造型か



37 名前: 格納庫の石 投稿日: 02/07/26 01:14 ID:???
● YS11が引退する時期となったのだけれども,「飛鳥」って知ってる?
  いわば,「C1改USB方式STOL実験機」につけられた愛称です.
このUSB(Upper Surface Blowing)方式というのは,
 主翼の上にエンジンをとりつけ,滑らかにカーブしたフラップを利用して,
 翼上面を流れるジェット排気流を下向きにすることによって,揚力を増加させる方式.
航空技術研究所の「STOL研究開発プロジェクト」として,1965年から1988年まで行なわれました.
この飛鳥プロジェクトには,開発費用170億円がかかっています.
C1輸送機を改造した40トン程度の全備重量を600mの離陸距離で飛翔するのが飛鳥.
飛行試験終了まで含めると400億円の予算が投入されました.
エンジンは日本製のFJR710(これも通産省の大型研究プロジェクトでRJ500に継続)を4基.
翼の上にカエルの眼のようなエンジンが載っています.報告書では,実験は成功裡に終了した.
ところが,1989年2月3日付けの新聞によると,「STOL機実用化を断念」と報じられている.

■2002年現在になって当時のことを,いまさらなんだけど.....
 このころ研究成果をベースに実用機を開発していれば,
  当時なら800億円程度の資金を投入すれば,60席クラスのSTOLリージョナル・ジェットを実現可能.
 近ごろのボンバルディア社やエンブラエル社の状況を見ると300機程度の販売が控えめに見ても実現するだろう.
 STOL機の自主開発は,政治的には,予算規模1000億円を掛けるのなら,
 飛行場と空港の整備に投資したほうが,有益と航空会社と自治体や工業会が考えたのだろう.

●結局,YS11の後継機開発は,150席の旅客機を国際協同開発という名目で,棚上げになっている.
 あの時,空港拡張予算をRJ開発にまわしていれば,世界第5位の航空機メーカーをもてたのに....


38 名前: 7誌曹長 投稿日: 02/08/04 00:20 ID:noFRSng5
●規制緩和と新しい航空会社
せっかく航空路線の規制緩和がはじまったのに,低価格運賃だけで新しい航空会社が参入するのに,
2大ビック・エアラインと同じ機材を使うのでは,優位性を確保できない.
巨人に挑戦する零細エアラインなのだから,機材のダウンサイズ(小形化)によって,
より大型機にとって採算の悪い路線を開発する方向も考えてほしい.
大型機材による大量輸送は主要幹線と2大エアラインに任せておけばいい.

●地域間航空路線を
8月より運航をはじめたスカイネットアジアは,150席のボーイング737−400型
(ビック2では,一番小さな機材だが)だが,これより小さな機材を使って,
もし需要が上向きになれば,便数を増やす考え方で,利用者にとって便利な
バスのような存在を目指してほしい.
YS11の後継機は,プロペラのないリージェナルジェット(地域航空路線用小形ジェット旅客機)
を選択する時代となっている.
空港周辺の騒音問題も新世代のリージェナルジェットであれば,クリアしている.
滑走路の長さもボーイング737の2000m以下で運用できる.
ようやく日本にも,リージェナルジェットが導入されて目に付くようになってきた.
たとえばジェイ・エアとフェアリンクが運用しているカナダのボンバルディア社製
CRJ200ERは50席で,航続距離が3000kmあるから,かなりの運休路線を再活用できるのでは?
 300km以上の距離があれば,ジェット機による直行便の利点が出せるのでは.
 これに地方公共団体の補助金を組み合わせれば,我が街の航空会社をやっていけるのですよ,
県知事さま.ただ,羽田空港の発着枠をとれるほどの政治力が必要ですが....

■6年前にYS11の後継機を自社のリスクで開発していれば,
フェアチャイルド・ドルニエ社になるか(倒産)
ボンバルディア社(世界第3位)の民間航空機製造メーカーに対抗できる地位に到達できたのに.....



39 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/08/04 12:28 ID:???
>>38
例えば千歳−東京往復チケットが実質2万円を大きく割っている現在の日本で
千歳−奥尻島片道3万円という価格で客が集まるのか、という問題が最大の
ネック
客が集まって金が取れるんなら、航空会社は喜んでリージョナルジェットを
飛ばすよ
佐賀空港線なんて行政があれだけ支援しているのに利用率は30%ぐらいに
しかならない…


40 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/08/04 12:59 ID:6LuxlgxD
>>11
萌える時代でどれも捨てがたいんだけど
やっぱりスーパーコンステレーションかな。
コンステレーションなんですけどね(笑


41 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/08/04 13:54 ID:lIMy064s
Tu-116
…とゆーのは反則ギリギリかなあ


42 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/08/04 16:09 ID:6aufhnJW
>2
ちょっと藁


43 名前: 須走口 投稿日: 02/08/11 19:47 ID:t7kIu2oj
VC-10はだめか?


44 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/08/11 19:56 ID:LxZ1CW9Z
日本も110機もってるエレクトラでしょ。やっぱり。


45 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/08/11 22:06 ID:???
林彪の愛機トライデントはどうよ?


46 名前: 7誌曹長 投稿日: 02/08/16 16:39 ID:5l9ykVzk
◆民間航空再開50周年記念郵便切手が9月6日に発売されるよ!!
1945年に大東亜戦争が日本の敗戦で終わり,航空禁止となっていた.
ようやく1952(昭和27)年に民間航空が再開されてから,
50周年を迎えるとお役人さまがのたもっております(国土交通省かつては運輸省のお役人さまです).
民間航空は,高速鉄道網の補間と,高速道路網の建設の合い間の空港建設によって,
身分不相応な大型旅客機と2500m滑走路などの土木工事によって,なんとか存続しています.
離島や交通整備が行き届かない地域にとっては,不可欠な交通手段となっているそうです.
9月20日を「空の日」,9月20日から9月30日までを「空の旬間」として,
お役人さま達はさまざまな催しを各地の空港などで行なっております.
ことしは,これらに加えて「民間航空再開50周年記念事業」も行なわれるので
民間人は心して参加するように(心づけを忘れないように).
 9月6日には「民間航空再開50周年記念切手」(1枚80円/1シートだと800円)が発売される.

絵柄は,B767とDC4らしい.
いまさら,切手でトレードする方はいないと思うけど......

目に付いたら,そういうことです.


47 名前: 格納庫の石 投稿日: 02/08/16 16:45 ID:???
◆読売新聞社の招待飛行◆

さて,記録を調べてみると,民間航空の再開には,いろいろな動きがあったようで,
あの富山県の正力松太郎先生(読売新聞社)が,
 1951(昭和26)年8月15日に中華民航CATからチャータした
カーチス・コマンド輸送機(C46)に「よみうり平和号」と名づけて,招待客30人を乗せ観光飛行を実施した.
飛行コースは,
羽田→札幌→千歳(着陸)→釧路→帯広→函館→青森→盛岡→仙台→福島→郡山→宇都宮
→羽田(着陸)→大島→羽田(着陸)の航程約3000km.
 翌日も別の招待客30人を乗せて,日本1周の観光飛行を行なった.コースは,
羽田→横浜→静岡→浜松→名古屋→京都→大阪(着陸)→高松→広島→福岡(着陸)の約3000km.
これが戦後,はじめての日の丸の国籍マークを機体につけた民間航空のはじめらしい.

このあと,日本航空が8月25日にフィリピン航空からDC3を1機チャータし,「金星」と命名して,
8月27日から29日の3日間にわたり,関係者を招待して,羽田→大阪→福岡などの試験飛行をおこなった.
日本航空が,実際に運航をはじめたのは,1951(昭和26)年10月25日からである.
米国ノースウエスト航空に委託した旅客機マーチン202を使った.
日本航空の自主運航は1952(昭和27)年10月から.機材はDC4.

●DC3とC46の違いのわかる人,やさしく教えてください.


48 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/08/17 12:52 ID:???
>>47
あー、ダグラスが作った現代旅客機の元祖がDC3
http://www.aerofiles.com/doug-dc3.jpg
それに対抗して、カーチスが成層圏を飛行可能な(胴体を与圧)旅客機として
開発したが、戦争で無与圧の貨物機として使用されたのがC-47
http://www.aerofiles.com/curt-c46a.jpg



49 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/08/17 13:03 ID:???
いかん
× C-47→○ C-46



50 名前: 眠い人 ◆ikaJHtf2 投稿日: 02/08/18 21:43 ID:???
元々、C-46はCW-20と言う名称で双尾翼の機体として開発されたわけで…。



51 名前: 教えてクン 投稿日: 02/08/22 16:21 ID:PMjTP5EQ
米軍の陸軍航空隊
米国海軍の輸送機

ダグラス製旅客機

カーチス輸送機

の4種類があって,

DC3,C46,C47,R3Dがあるらしいのですが,この4大話を,うまく解説してください.

わかるヒト!!


52 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/08/22 16:34 ID:???
DC3はダグラスが作った民間用旅客機
それを米陸軍航空隊が貨物輸送用に採用したのがC47など(細かくいろいろあるけど
さらにその海軍型がR3D(これもいろいろあるけど省略
で、C46は48-50の通り


53 名前: 眠い人 ◆ikaJHtf2 投稿日: 02/08/22 22:30 ID:???
>52
揚げ足取りスマソが、C-47の海軍型はR4Dですよ。

R3Dは、サンタモニカではなく、ノースロップ系(ダグラスはDC-3などが結構売れたので
資金があった。ノースロップは弱小メーカーだが、引込脚機実用化するなど、先進性に
飛んだメーカーだった。ただ資金がなかったので、ダグラスに買収された。
それで生まれたのが、DB-8、後のSBD艦爆。社長だったジャック・ノースロップは更に
スピンアウトして、独立企業を設立したが…)のエルセグンド工場が、エド・ハイネマン
(A-4とかA-1の設計者)の指導の下、短距離旅客機と自家用機市場を当て込んで設計、
製作した機体で、DC-5の軍用型。
陸軍に徴用されたものは、C-110となった。

総生産数12機。
面白いことにこの中にはBoeingの社長専用機となったものもあり、オランダに売られた
もののうち、1機は日本陸軍に鹵獲されている。
また、R3D-2はパールハーバーで破壊されている。


54 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/08/23 12:57 ID:???
>>53
あ、ホントだ
おわびにいつものとこからDC-5の画像
http://www.aerofiles.com/EEdoug-dc5.jpg

ここ、情報量は多いんだけど、探しにくいのが欠点


55 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/08/23 12:58 ID:???
よく見たらC-110もあった
http://www.aerofiles.com/doug_dc5.jpg


56 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/08/23 13:15 ID:???
これ、民間機だから航空宇宙板の範疇では。


57 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/08/23 13:17 ID:???
>>56
「純粋な民間機」ならね
でも、軍用型のある機種の話題ばっかりじゃん


58 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/08/24 10:34 ID:y6YIgyDc
>>41の奴
ちょっと萌えますた
http://www.lindenhillimports.com/tu-116.htm


59 名前: 教えてクン 投稿日: 02/08/27 17:06 ID:ubBQSdRt
◇P3Cの民間機タイプに乗った人,いる?◇

●ロッキードP3Cオライオンの原型といわれる
民間旅客機「L188エレクトラ」って,事故が多かったようだけど,
太平洋線に飛んでた?(ノースウエストあたり?)

そのまえの「コンステレーション」は有名だけど,旅客機は珍しいので>>>>

JALが使用しなかった旅客機は,日本では珍品にされているから,

掘り出しておきたいなあ!!




60 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/08/27 20:58 ID:CNHbFZ5j
>>59
P3Cしか乗ったこと無いな。でも遠洋航海の時アメリカで見たことあるよ。何年も前だけど。


61 名前: 眠い人 ◆ikaJHtf2 投稿日: 02/08/27 23:51 ID:???
>59
昔、VARYG(綴り合ってたっけ?)ブラジル航空のやつが図鑑には載って
いたような気がする。
太平洋線じゃなくて、あくまでもあれは大陸横断線に投入された国内線
旅客機だからねぇ。

アメリカン・フライヤーズ航空の事故原因は機長の心臓発作という稀な原因
だったとか。
コンステレーションはつい10年くらい前までは、羽田に乗り入れていたっけか。
グァムだったか、パラオだったかから、魚を輸入する貨物機として来ていた
そうだ。

しょうもない話だけど、コンステレーションの爆撃機版というのも考えられていて、
B-29の対抗馬として、コンソリデーテッドのB-32、ダグラスのB-31と共に競争試作
された。
これがB-30。
流石に、民間機の爆撃機化は無理があったようで、モックアップに逝く前に落とされた
ようだけど。


62 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/08/28 12:44 ID:???
>>59
エレクトラ、199機作られていて、YS-11とほぼ同じ数
軍用に転用された純民間機でみるとYSよりも多いよ

コンステレーション系は純民間型だけで300機を超していたと思う
航空情報が昔出した「グローリアス・ウイングス」に美しいモノクロ写真がある



63 名前: 飛鳥 投稿日: 02/08/28 13:23 ID:???
遅resだが、アメリカでYC-14とYC-15がこけたのに、性懲りもなく開発続行して
やっぱりボツになった実験機ね。開発者にはまったく罪はなし。そもそも仕様の
出し方が悪い。

いくら日本が狭いたって、STOL機しか離着陸できないような小さな空港っていく
つあるのか?そんな狭い空港にジェット旅客機を飛ばす必要があるのか?経済的
にまったく引き合わないよ。

軍用輸送機に高翼が多い理由。エンジンが高いところにいっちゃうのでメンテナ
ンス性が劣る(=コスト高)から、民間機では好まれない。でも軍用機では、そ
んなことより、翼下を車両やらカーゴが自由に通行できる利便性の方が歓迎され
る。


64 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/08/28 13:34 ID:RUwMXkrn
>>61
エレクトラは中距離機だから太平洋線には飛んでないだろ。
B727あたりに取って代わられた機体だよ。



65 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/08/28 14:24 ID:???
>>63
飛鳥が「失敗」に終わった要因として、飛鳥だと大規模空港建設がいらなくなり、地元の土建屋と
政治家が儲からないからだというのがある。

コスト的には3000m級の空港を日本中に作るよりも、飛鳥などSTOL機の導入に補助金つけた
ほうがよかったんだけどね。

土建業で甘い汁を吸う政治家の数のほうが、航空産業で甘い蜜を吸う政治家より多かったという
ことでしょう。

しかし80年代の航空産業政策の失敗って痛く響いてるよなぁ。小型旅客機の開発といい、STOL機
の量産といい。うまくやっていればエンブラエルではなく、日本の企業が小型旅客機でのメジャー
プレイヤーも夢ではなかったのに。

反省シル!>旧通産省、政治家、MHI、KHI、その他重工


66 名前: 格納庫の石 投稿日: 02/08/29 13:20 ID:Xlix7YSR
◇ベルリン大空輸◇
第二次大戦後に,ソ連が西ベルリンを交通封鎖したとき,
1948年6月24日のことだけど,
西側(西ドイツを占領した連合国軍)は,飛行機を利用して
西ベルリンへ生活物資を空輸したのだけれど,
この作戦に使用した機材は,C-46,C47,ドッチ
1年以上に渡る輸送作業になってしまったのだけれど,
いまだったら,C5AやB747の投入で済んでしまうのだけれども,
53年も前だと,想像を絶する空輸作戦だったのでは,
●使用した飛行場(発西ドイツからと着ベルリン)
 機材:輸送機,飛行艇,米軍,英軍の参加
 ソ連軍とのトラブル,事故など
 ドイツが統一された現在から見ると,.....
 朝鮮戦争以前の第三次世界大戦危機だけど
 戦後の情報管理で,日本ではくわしい内容が伝わっていないので....

◆教えて!! ◆


67 名前: >65 投稿日: 02/08/29 13:32 ID:NuVhYfZo
飛鳥はファンジェットの噴流をコアンダ効果により曲げることで
鬼のように揚力係数が増加し、目標通りのSTOL性能を発揮した。

しかしながら主翼上面に直接取り付けた大型ファンジェットは
高速巡航時の抵抗増加につながり、中長距離輸送機として使うには
巡航時の燃費が馬鹿にならないので商業的には失敗。


68 名前: True/False ◆gMVQehA6 投稿日: 02/08/29 13:38 ID:???
>65
飛鳥は、大型機用のFBWを自力開発する能力という
財産を残しましたよ。

計画として妥当だったかどうかはさておいて。


69 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/08/29 14:08 ID:???
>68
その後の経緯をみれば、豚に真珠では


70 名前: 眠い人 ◆ikaJHtf2 投稿日: 02/08/29 23:37 ID:???
>66
ラムズフェルト、ミュンヘン、ハンブルクなどのドイツの米英占領地の主要空港から、
西ベルリンのテンペルホーフ飛行場まで。
テンペルホーフでは市民総出の物資仕分けが行われた。
一日当たり最高で22,000トンが空輸される。
発着回数は62秒に一回。

使用機はそれこそ米英の機体を根こそぎかき集めた。
操縦士の過労による居眠り、東への墜落、東の航空機とのニアミスなど、
危ない事例も多々あったようだ。

米国は初期には、C-47/R4Dが100機以上、C-46、主力はC-54/R5D、
末期にはC-74が11機投入される。
特にC-74のPayloadは段違いで、C-54が50名程度しか運べなかったのに、
C-74は倍以上の125名を運べ、Payloadも25トンに達した。
また、C-119の原型、双発双胴のC-82が5機参加した。
英国は、アヴロランカスターの輸送機改造型、ハンドレページハリファックスの
輸送機改造型、ダコタ(C-47の英国引き渡し分)が主力だったが、ランカスターを
純輸送機に改造した、ランカストリアン、更に完全に胴体を再設計したヨークが
用いられている。

更には、民間からDC-3/4/6、ヘイスティングス、マーチン2-0-2、コンヴェアCV-240
などもかき集められ、投入された。
整備部隊はてんてこ舞いだったそうな。


71 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/08/30 12:07 ID:???
>70
現在の航空管制システムがベルリン大空輸で作られたことにも触れといてください



72 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/08/30 13:50 ID:VnA7xTDj
ベルリン大空輸、ドイツだからじゃがいも(w)も大量空輸したが、
多かったのは暖房用の石炭だったらしいね。
当時のプロペラ輸送機でガラゴロ石炭を大量輸送してたんなんてすごい。


73 名前: 格納庫の石 投稿日: 02/09/02 18:01 ID:4QeEfdgy
■フォークソング「パフ」といえば,DC-3
ベトナム戦争で"Puff the Magic Dragon"(火を吐く龍)と歌われた.

米国空軍がダグラスC46輸送機を改造したSppokyガンシップ:AC47D(対地攻撃機)で
1960年代後半に南ベトナムやラオスで使用された.
夜間の地上支援攻撃が中心で,地上にいるとかなり怖いのでは?

安全な米軍側にいれば,誤射の心配だけだが!!
照明弾,口径が7.62mmの銃弾を1万8000発/分,
発射する自動小銃(General Electric MXU-470)
を3丁装備し,乗降扉と2箇所の窓から
狙った目標地点に対して,照明弾で目印をつけ,左旋回しながら攻撃する.
残念ながら,作戦中に撃墜されたAC47Dもかなりあるようだ.

1972年になると後継機として,AC119(愛称はShadowsとかStingers),
AC-130(愛称はSpectres105mmカノン砲やガトリング・ガン)が
できたので,徐々に退役している.

米軍では,ガン・シップという名で,爆撃機に機銃を装備したタイプを,
対地攻撃や輸送船や小型艦船の攻撃に第二次大戦でも太平洋で使用した.

ACタイプは,対ゲリラ戦用としても,いろいろ投入されている.
日本では,ガンシップというと,ヘリコプターが思い起こされるが>>>


74 名前: 7誌曹長 投稿日: 02/09/14 16:47 ID:iAueltZj
◆ベトナム戦争といえば,

 地上軍支援のために投入された観測機に,民間機ベースのものがあったような....

 いわばセスナ機ベースの空中目標識別機のようなものが,あったとか?

 わかる人いたら,教えてくれない?

 よろしく!! 


75 名前: 眠い人 ◆ikaJHtf2 投稿日: 02/09/14 21:47 ID:???
>74
と言うか、第二次大戦中から米国は民間機ベースの観測機を配備しています。

例えば、グラスホッパーシリーズは、テイラークラフト、その後身のパイパーカブ
を転用したものであり、更にエアロンカのものもグラスホッパーという名称で採用
されていたりします。
カブシリーズは、スーパーカブに発達し、これもL-21として採用されています。
同じように、スチンソン105ボイジャーはヴァルティーの傘下に入って後、その
スタッフによって、L-13が開発されました。

英国では英国テイラークラフトが名を換えてオースター社となり、AOP9と言う発達
型(エンジンを空冷倒立のジプシークインシリーズに換えたくらい。)を150機ほど
生産していますな。
オースター社はBulldog練習機などを生産していたビーグル社に吸収され、更に
その倒産後は、スコッティシュエビエーションが事業を継承しています。

んで、こういう例は他にも多くて、ノースアメリカンがP-51の技術を用いて開発した
戦後型軽飛行機、N-154ナヴィオンは1000機も売れたりしたのですが、陸軍では
L-17として採用されました。(なお、1947年にはリストラのため、その製造はライア
ン社に譲渡されたりしてますが)


76 名前: 眠い人 ◆ikaJHtf2 投稿日: 02/09/14 22:13 ID:???
やっと本題まで辿り着いたか。

そしてパイパーと並んで軽飛行機のもう一方の雄であるセスナは、モデル170を基に
そのエンジンと機体構造を強化し、モデル305として陸軍のコンベンションに応募し、
これが採用されて、L-19/OE-1/O-1シリーズとして大量生産が行われている。

C型はチュルボメカのTurbopropであるアルツゥーストを積んで、286km/hを発揮したり、
海兵隊使用のOE-2は、エンジンを強化、主尾翼はセスナ170からセスナ180のものに変更
され、キャビンに装甲が貼られて、250lb爆弾2発の搭載まで可能にしている。
陸軍、海軍(海兵隊)、空軍の各軍で用いられ、草創期の陸上自衛隊にも納入された。

米軍ではヴェト=ナムに於いて、471,186回のコンバット・ソーティを行い、119機が失われた。

とは言え、元々がセスナの軽飛行機なので、脆弱でエンジン馬力も弱く、搭載量も余り無く、熱帯での
運用も難しかった。
しかも、防備、武装と言えば、アーマージャケットとM16しかない状況。
海軍は曲がりなりにも装甲やら、爆弾、ロケット弾の装備が可能だったが、空軍のFAC機にはそんな
装備は付いていない。


77 名前: 眠い人 ◆ikaJHtf2 投稿日: 02/09/14 22:14 ID:???
と言うことで、開発されたのが同じセスナの軽飛行機だけど、串形双発、固定脚、4〜6座のビジネス機
であるモデル336から開発された、モデル337、空軍名称O-2。
この機体の採用は、双発でありながら、軽飛行機の延長であり低価格になること、顧客が容易に移行
できること、そして操縦感覚は単発軽飛行機と同じで、なおかつ片発停止時の安定性が良いことであった。

この機体は336に比べると主翼取付角を変更し、後部エンジンの冷却能力を強化し、引込脚化を行って
空軍に採用され、FAC機として用いられた。
O-1に比べ馬力は強化され、翼下に4箇所のハードポイントを装備しているので、ミニガンポッド、ロケット
ポッドなども装備でき、防御力は少しは上がった。
また通信・航法装備も充実している。
基本のA型と対地上放送を行ってビラまきを行って、敵を意気阻喪させるB型があった。

米軍からは退役したが、フランスではレイムス社がその機体の製造権を持っており、独自の発達型、
レイムス・セスナ337ミリロールという機体を開発、発展途上国向けに売っている。


78 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/09/14 22:52 ID:QNrSiXY/
空自のYSみたいに民間型でT64に換装された奴あるんかな?


79 名前: 7誌曹長 投稿日: 02/09/17 12:57 ID:JzkawImf
>75,76
ありがとう,です.

そうすると,A10の先代となる対ゲリラ戦用COIN機は,

このあとに,専用機として開発されたのでしたかね?

こういうカテゴリは地味なので,なかなか系統立てたものが,

見当たらないようです.



80 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/09/17 12:59 ID:???
>>79
観測機とCOIN機は別概念だよ


81 名前: 眠い人 ◆ikaJHtf2 投稿日: 02/09/20 23:25 ID:???
>79
何かだんだんスレの主旨と離れていって居るようだが(藁。
まぁ良いか。

対ゲリラ戦用の機体の起こりは、1950年代に起きた植民地解放闘争から
出てきた代物で、フランスのアルジェリアで作られた現地改造のもの。

最初は、T-6G練習機にロケット弾とかガンパックなどの武装を施して、対ゲリラ
攻撃を行っていたが、矢張りこれでは非力なため、後に米国より得たT-28を
利用して、800馬力のエンジンを、R-1820-9(1,425hp)に換装して強化した上、
武装を施し、250lb爆弾を4発搭載出来、装甲を張り巡らした対ゲリラ戦専用に
改造された。
これは、フェネックと呼ばれて、147機がアルジェリアのEALEでゲリラ相手に
大活躍した。

植民地戦争に刺激されて、フランスではCOIN機ブームと言うべき現象が起きた。
1953年に開発されたPotez75はその最初のもので、推進式ピストンエンジン単発、
固定脚、時速275Km/h、機関砲1門を機首に装備し、爆弾類は0.6t、前方にキャビンと
観測窓、上部に開放式操縦席という時代錯誤な機体を生み出した。

また、1958年から60年に掛けてSUD-Est SE.116/117が製作された。
Potezよりはマシな機体だが、それでも、ピストンエンジン双発(116)、機首に爆撃手
用の透明窓を持つ、急降下可能な機体。
117でやっと、Turboprop双発になったが、機体構造自体は40年代の爆撃機と大して
変わらなかった。
更に、ダッソー社でも、M.D.415軽輸送機の軍用機化でM.D.410を開発している。
これは民間向け軽輸送機としてTurboprop双発で作られたが、残念ながら市場が無く
不採用に終わっている。

この後、ダッソー社はミステール戦闘機の主尾翼構造を流用して、ミステール20を
製作して、大ヒットしたのだが、それはまた別のお話。


82 名前: 眠い人 ◆ikaJHtf2 投稿日: 02/09/20 23:49 ID:???
んで、米国ではそう言った際物が余り注目されていなかったのだが、1960年代、
ヴェト=ナムに介入を始めたときから、矢張りゲリラには悩まされた。

しかし、こういった開発途上の友好国は教育程度が低く、余り高等な機体は送れない
し、整備性も悪い。
更に価格も高く、おいそれと供与できない。
そこで注目されたのが、フランスで活躍したT-28で、幸い機体はジェット練習機の普及
に伴い余剰になっていた。
これに、フランスと同じような改造を施し、800hpのエンジンは1,300hpのR-1820-56Sに
換装し、下面6箇所のハードポイントに1,590〜1,800kgの武装を施すことが出来た。
また、下面にはガンパックも設けられている。
この機体は、T-28Dと呼ばれ、393機が改造され、ヴェト=ナムを始めラオス、タイ、カン
ボジアなどの東南アジア諸国と、中南米に供与された。

最終型は、YT55-L-9Turbopropに換装して、パイロンを12箇所に増やし、翼端にはサイド
ワインダーAAMを取り付けたYT-28Eだったが、流石にこれは、試作で中止されている。

一方、COIN専用の機体として、再生利用されたのは、T-28だけではなくて、A-26もそう
だったりする。
これらは、40機がオンマーク社で近代化され、COIN機として56SOWなどで使用されているし、
各地の植民地紛争でも、対ゲリラ戦用に使用されている。
なお、これで生き残った機体は、再びオンマーク社で、ビジネス機に改造されたりしている。

余談だが、A-26の主尾翼構造は、エアロコマンダー500と言うビジネス機に応用されていたりする。
これは、A-26の主任設計者がダグラスを退社してエアロコマンダー社に入って此処で民間輸送機を
設計したためもある。
これの発達型、エアロコマンダー520は空軍に、L-26として採用された。


83 名前: 眠い人 ◆ikaJHtf2 投稿日: 02/09/21 00:05 ID:???
さて、話を戻すと、後、再生利用されたのは、傑作戦闘機、P-51Dだった。
これらは、戦後、友好国に余剰機が大量譲渡されたが、さらにそう言った諸国から余剰機が、アメリカの
メーカーで再生され、小国に売られたり、供与されたもの。

そのままのF-51Dもあれば、キャバリエ・ムスタングの様に、翼端に増槽を付け、12.7mm機銃は減らす
代わりに、ハードポイントを増設したものである。
最後のものはこれもT55に換装されたりしていた。採用されなかったけど。
最近まで、ドミニカ、エルサルバドルなどの中米では使用されていたりする。
で、ヴェト=ナム戦争で使用されたのが、これら初期の機体とA-1Skyraider。

こういった、ピストンエンジン機を代替する目的で、空軍は練習機T-37を改造して、J60をJ85に変更し、
離陸重量を二倍にした上、ミニガンを搭載し、翼下6箇所のパイロンに1,360kgの武装を施したA-37を
開発した。
とは言え元々は、空軍が目を付けた機体ではなく、元々は陸軍がT-37を用いて地上支援する試験を
行ったのが発端だったりする。


84 名前: 眠い人 ◆ikaJHtf2 投稿日: 02/09/21 00:13 ID:???
ガンシップについては、既に述べられている通り、AC-47が最初で、AC-119、AC-123、AC-130と進んで
現在に至っている。
その間には、AP-2E、B-57Gと言う異端児もあったが。

所で、Credible Chase計画によって作られたもので、ミニガンシップと言うのがあった。
これには、ピラタスが作っていた、PC-6ターボポーターをフェアチャイルドがライセンス生産した、
AU-23A Pacemakerと米国のSTOL専門メーカーであるヘリオが製作したH-550A Stallionを改造
したAU-24 Stallionの二機種で争われた。

AU-23AはPT6AをTPE-331に換装し、余剰馬力分を武装と装甲に充て、胴体左側に20mmXM-197
ガトリング砲を1門か7.62mmMXU-490ミニガンを2門、主翼下面に4個、胴体下面に1個のハードポイ
ントを持ち、250lb爆弾までを搭載可能としていた。
更に、7.62mmM1919A6機関銃を装備できた。

AU-24AはPT6Aを装備し、20mmM197ガトリング砲を1門、主翼に4箇所、胴体に1箇所のハードポイ
ントを持ち、主翼2箇所は350lb、残りの2箇所は500lb、胴体に1箇所600lbまでの爆弾、ロケットを
搭載可能だった。

結局、単発ガンシップは能力的に限界があって、少数生産に終わり、AU-23Aは1972〜73年に15機が
生産されてヴェト=ナムで試用された後に13機がタイ空軍に、AU-24Aは1972年に15機が生産されて
14機がカンボジア空軍に引き渡された。


85 名前: 東ドイツの国産ジェット旅客機 投稿日: 02/09/22 12:17 ID:cStezUab
 もはや忘却の彼方に押しやられていますが旧東ドイツ、ドイツ民主共和国で国産
ジェット旅客機が開発された事が有ったのです。

●VEB BB−152ジェット旅客機●
 第二次大戦中のユンカース社の技術者ブルノルフ・バーデ(Brunolf Baade  こう
読むと思いますが)は戦後ソ連に抑留され、EF150ジェット爆撃機の開発に従事
させられていた。東ドイツに帰国後VVBF(国営航空工場協会)で彼を中心とする
技術者達によりジェット旅客機が開発され、BB−152の原型1号機が1958年12月
4日に発飛行した。 本機はB−47の外側のエンジンを外して旅客機にした様な4発
の高翼機で、両翼下面にエンジン2基を収納したエンジンポッドを吊り下げており、
降着装置は自転車式だった。乗客は57人から72人を予定していた。
 結局原型機を含めて計3機が作られただけで開発は中止されたが、その理由として
ソ連の圧力が有ったとも言われている。 一号機は事故で失われ残りの機体はスクラ
ップにされた。その後東西ドイツ統一後に薮の中に放置された胴体が見つかっている。

●参考資料● AIR Enthusiast No.41 記事と写真が2ページのみ


86 名前: カナダの国産ジェット旅客機 投稿日: 02/09/22 12:18 ID:cStezUab
 アブロ・カナダ社で開発された機体はCF100とCF105が有名ですが、実は
国産ジェット旅客機が開発された事が有ったのです。 世界最初のジェット旅客機は
D.H.コメットだと言う事は誰でも知っていますが(ソ連のTu104の事はひと
まずは置いといて)世界で2番目は実はアブロ・カナダC102なのです。

●アブロ・カナダC102ジェットライナー●
 1946年からアブロ・カナダ社でトランス・カナダ・エアライン向けに、レシプロ機並
の短距離で離着陸出来る中距離ジェット旅客機の開発がはじまった。
 C102はDC−4をそのままジェット機にした様な垢抜けない形の直線翼機で、
4基のロールス・ロイス・エイボンをD.H.コメットの様に翼付け根に装備していた
原型機はコメットが1949年7月21日に発飛行した二週間後の1949年7月21日に発飛行
した。デモ飛行はカナダばかりで無くアメリカでも行い、各社の注文も受けたが結局
量産されずに終わった。
 機首部分だけがCF105の機首と一緒に博物館に展示されている。

●参考資料● AIR Enthusiast No.46 記事と写真が8ページのみ


87 名前: 格納庫の砂 投稿日: 02/09/22 14:31 ID:???
◆民間旅客機とその軍用転換輸送機を整理すると,
 ダグラスDC4→米国陸軍では,C54輸送機
       ⇒米海軍では,R5D輸送機
     DC6→米国陸軍のC112A
     DC6A→米国空軍ではC118A
       ⇒米海軍のR6D
 ロッキードL049 コンステレーション(コニー)
       →米国陸軍のC69輸送機

      L188 エレクトラ
        (アメリカン航空の要求仕様:コンベアCV340の近代化代替)
       ⇒米海軍のP3オライオン

 コンベアCV240⇒ 米国空軍の練習機T29
              輸送機C131A/B サマリタン
     CV440⇒      輸送機C131B,C131D/E/F/G 
                         などがあります.

戦闘機と比べれば,6席以上の機体は大型機と考えればいいのでは,
   拡張解釈してしまおうよ.

●で,質問なんですが,
「ダグラス C−74グローブマスター」って,DC7の軍用機タイプですか?

どこぞのホームページに書いてあったのだけど,
 あやしげなので,......


88 名前: ダグラス 投稿日: 02/09/22 15:20 ID:cStezUab
未だ資料を参照していませんが、C−74グローブマスターはダグラスDC-7の
軍用輸送機型では無く、C-124グローブマスターIIとも違います。


89 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/09/23 11:58 ID:???
>>87
C74という機体に関する詳しいことは知らんが、「ザ・イタリアン・ジョブ」という、
割と面白い映画に出てきたよ。金塊を中国から運んでくる輸送機の役。
ちなみに、この映画は「ミニミニ大作戦」というヒドイ邦題をつけられた。
やる気のないレンタルビデオ屋にいけば見つかるかもしれない。

83年頃の航空ファンに特集が組まれていたけど、納戸の中探すのはめんどくさいや。
初期型は、操縦士用と副操縦士用に分かれたキャノピがついてて格好良かったよ。


90 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/09/23 12:30 ID:???
>>87-88
これがダグラスC-74の試作機
当時ダグラスが愛用していたバグズアイがかっこいい
パイロットには迷惑だろうけどね
http://www.aerofiles.com/doug-c74.jpg

で、DC-6の軍用タイプはC-112とかC-118
DC-7はDC-6のストレッチ/ターボコンパウンドエンジン換装型にすぎないけど
軍用タイプでは該当するモノはないみたいだ
http://www.aerofiles.com/doug-c112.jpg
http://www.aerofiles.com/doug-c118.jpg



91 名前: コギャルとH 投稿日: 02/09/23 12:31 ID:GwG4RVwr
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92 名前: 眠い人 ◆ikaJHtf2 投稿日: 02/09/23 16:40 ID:???
>87-88
C-74は大戦中に開発された大型輸送機で、C-54の代わりに大西洋横断ができる
大型輸送機として開発されたものです。
エンジンはR-4360を4基搭載し、兵員125名、または担架115床と看護兵を収容し、
貨物なら21,840kg搭載できました。
これは、R-3350なら10基、V-1710なら15基、M24クラスの軽戦車なら2台の搭載
が可能です。

このため、貨物室内には7.2tのクレーン2台、電動カーゴリフトを備えています。
しかし、基本は第二次大戦型の輸送機なので、前部胴体左側に大型貨物扉、主
翼付け根直後に2.3×4.0mのカーゴエレベータが設けられているだけで、近代的な
ローディングランプを備えていませんでした。

1945年9月に1号機が初飛行し、50機生産のところ、14機しか生産されませんでした。

民間向けにも販売されましたが、その時の呼称はDC-7だったかと記憶しています。
ちなみに、DC-8というのもありまして、これは、液冷双発推進式の珍機、XB-42Mixmaster
の胴体を旅客仕様に改めたもので、計画のみに終わったりしています。



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